私の読んだ本の紹介~「幸せになる勇気ー自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ」著:岸見一郎、古賀史健(前編)

皆様、こんにちは!くーです。

今回は自己啓発本の名著「嫌われる勇気」の続編である、「幸せになる勇気」を読んだ感想を書いていきます!

前作と比べて、より実践に寄せた内容となっているため、アドラー心理学を実生活に活かしていきたい人にオススメの本と言えるでしょう!

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要約

本作は、前作と同様に2人の登場人物の会話形式の本となっており、主人公である青年の悩みである教育と言う議題を通して議論が進んでいき、「愛」が主たるテーマとして書かれております。

また、上でも書きましたが前作がアドラー心理学の考え方に中心を置いていたのに比べて、実践寄りの話となっています。

実際に筆者の岸見一郎さんがあとがきの中で

“前作『嫌われる勇気』は、アドラー心理学の存在を知り、アドラーの思想を概観するための、いわば「地図」のような一冊でした。”
“他方、本書『幸せになる勇気』は、アドラーの思想を実践し、幸福なる生を歩んでいくための「コンパス」となる一冊です。前作で提示した目標に向かって、どのように進んでいけばいいのかを示す、行動指針と言い換えてもいいでしょう。”
のように語っています。
そんな「幸せになる勇気」は5部構成で成り立っています。それぞれの章について簡単にまとめてみました。

第一部:悪い人、かわいそうなわたし

第一部では、教育とは何かというテーマを通して「自立」と「尊敬」というワードについて語られます。

教育と言うと、多くの人が教室の中で画一的な授業を行うようなイメージかもしれません。

しかし、アドラー心理学における教育とは「自立」を目指して、それぞれの目線に立ちながらサポートすることです。

ここで、大事なのが「それぞれの目線に立つ」というところです。

前作の内容にあった「課題の分離」を行い、他者の課題には首を突っ込まず、ありのままのその人として受け入れて「尊敬」することが「それぞれの目線に立つ」ことに繋がります。

こうして他者を尊敬し、他者の関心ごとに自分も関心を寄せることで相手への共感に繋がります。そして、これが教育へと繋がっていくのです。

第二部:なぜ、「賞罰」を否定するのか

教育における賞罰とはつまり、褒めることと𠮟ることです。

アドラー心理学では、賞罰を否定している。つまり、教育においては「褒めても叱ってもいけない」ということです。

では、なぜ「賞罰」がいけないのか。罰はだめでも、賞は良いのではと思う人もいるでしょう。

その理由としては、「賞罰」が「自立」の邪魔になるからです。

アドラー心理学において、人間には「共同体感覚」があり、共同体に所属したいという欲求があるとされています。この所属感を求めて人は以下、5つの段階に分けられる問題行動を起こします。

➀称賛の欲求
②注目換気
③権力争い
④復習
⑤無能の証明
これらは「賞罰」を求めて起こす問題行動であり、「賞罰」によって欲求が満たされるということは所属感を人に求めてしまうということです。
これでは他人依存の人生になってしまいます。
それでは、アドラー心理学の教育の目的である「自立」に反するため、「賞罰」は認められないということになります。

第三部:競争原理から協力原理へ

競争原理が働いている中で過ごすと、承認欲求が生まれるため、これも他人に依存した生き方になってしまうため「自立」ができません。

そこで、アドラーが提唱するのは「協力原理」です。この「協力原理」が、人が元来から持っている「共同体感覚」へと繋がります。

人は昔は非力であり、集団で生活し、仲間と協力しなければ生きていけませんでした。

そのため、人にはもともと誰かと協力することがアイデンティティとして残っており、共同体感覚は内在しているのです。

その内在している共同体感覚を自分で掘り起こすことが「自立」となります。

つまり、自立とは自らの価値を自分自身で決定できるようになることです



 


↓前作「嫌われる勇気」です。


 

以上、アドラー心理学を読んだ感想の前編です。長くなってしまったので、一回ここで終わろうと思います。次の記事で、残りの第四部と第五部、読んだ感想について取り上げたいと思います!

それでは、失礼します。

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